證城寺の狸囃子

證城寺の狸囃子

作詞のきっかけ Writing song

野口雨情は、童謡を普及させようと各地を回っていました。その合間を縫って、よく千葉県の木更津を訪れていました。雨情は木更津の雑誌「きさらつ」の選者を勤めていました。
大正12年(1923年)、木更津尋常高等小学校で君津郡教育委員会主催の文芸講演会に出席しました。その帰り、木更津町長から童謡を作ってくださいという依頼を受けました。その題材が「證誠寺の狸伝説」でした。

詩の発表 Announsement of poetry

その伝説を基に、雨情は詩を作り始めました。最初は、伝説のとおりに「證誠寺の狸囃子」と表記され、大正13年(1924年)雑誌「きさらつ」の7月号の 中で発表されました。次いで、雑誌「金の星」12月号に掲載されたのが、全国的な発表となりました。ですが、発表当時の詩は現在のものとはまるで違ってい ます当時の詩は、
證誠寺の庭は 月夜だ 月夜だ 友達来い
己等の友達ァ どんどこどん
負けるな 負けるな 和尚さんに 負けるな
友達来い
證誠寺の庭は 月夜に月夜に花盛り
己等の友達ァ どんどこどん
となっています。
現在のような形が出来上がったのは、中山晋平が付曲し、翌月の大正14年(1925年)の1月号の「金の星」に譜面を載せた時点からです。また、題名も現在では「證城寺の狸囃子」と、「誠」の字が「城」に変わっています。

曲の発表 Anothe of tune

この作品は、「金の船」の中で詩曲同時に発表される予定でした。雨情はこの詩を「きさらつ」に発表すると間もなく、満州鉄道の誘いで蒙古への長旅に出て 行ったとされています。晋平は残された詩を読み、曲づけを開始しました。詩から伝わるイメージは明るくて弾んだ感じの曲調でしたが、なかなか弾んだ曲が浮 かばず、雨情の帰りを待って補筆を依頼しようとしていました。そして、雨情が旅に出る前に出来ていた詩だけを12月号に載せることになり、曲のほうは1ヶ 月遅らせて発表することになりました。しかし、いつまで経っても雨情は戻って来ず、結局、事後承諾してもらう事にして詩を変え、曲を作っていきました。そ して出来上がったのが現在のスタイルなのです。

歌詞 Lyrics♪

證 證 證城寺 證城寺の庭は
ツ ツ 月夜だ 皆出て来い来い来い
己等(おいら)の友達ァ ぽんぽこぽんのぽん
負けるな 負けるな 和さんに負けるな
来い 来い 来い 来い来い来い
皆出て 来い来い来い
證 證 證城寺 證城寺の萩は
ツ ツ 月夜に花盛り 己等の友達ァ
(現在は「己等は浮かれて」)
ぽんぽこぽんのぽん

作曲:中山晋平