生家・住んでいた家

生家

 雨情は、茨城県多賀郡磯原村(現在の北茨城市磯原)のこの家で生まれました。
雨情の生家は、地方きっての名家で、水戸徳川家藩主の御休息所で、徳川光圀公(水戸黄門)もしばしば訪れたそうです。この家は、その景観により「観海亭」と命名されました。
 また、昭和42年に茨城県文化財に指定されています。

 

 雨情の生家は、今は一般公開されていて、誰でも入ることができます。
中には、雨情自筆色紙や掛軸、雨情や家族の写真などが展示されています。また、雨情作詞の童謡の楽譜や、童謡発表誌「金の船」も展示されており、とても貴重なものを見ることができます。

住んでいた家

 雨情は、大正4年(1915年)妻のひろと離婚の後、現いわき市常磐湯本町の柏家に移り、詩作活動を続けます。この家で雨情は3年間、幼子2人と共に暮らしました。 平成17年、この家も取り壊されました。

 

 雨情の生家は、今は一般公開されていて、誰でも入ることができます。
中には、雨情自筆色紙や掛軸、雨情や家族の写真などが展示されています。また、雨情作詞の童謡の楽譜や、童謡発表誌「金の船」も展示されており、とても貴重なものを見ることができます。